April, 2010

なんとなくクリスタル 音楽ツアー archives for April, 2010.


FENは引き続き

由利が適当な電話相手がみつからずにうだうだしている間に

ポール・デイヴィスの後には、ボブ・シーガーの「アゲンスト・ザ・ウインド」、ロバート・パーマーの「エヴリ・カインダ・ピープル」、アシュフォード&シンプソンの「イズ・イット・スティル・グッド・トゥー・ヤ」、クール&ザ・ギャングの「トゥー・ハット」がかかり、そして今は、エアプレイの「シー・ウェイツ・フォー・ミー」が流れた。

つけっぱなしのFENから、どんどん曲が流れいき、一挙に5曲の紹介です。

この記事で一挙に無理なので、次の記事から1つ1つ再訪問していくことにします。


ところで FENってしばらく聴いたことがないなあ、今どうなっているんだろうと思ったら、今 AFN (American Forces Network) って名前に変わってるんですね。

AFN Tokyo http://www.afntokyo.com/

AFNの周波数や番組表もこのサイトから見ることができます。
http://www.afntokyo.com/afntokyo/Radio_Services.html

ネットラジオで聴けるかどうか、いろいろ検索してみましたが、答はノーです。
Facebook にある AFNヨーロッパのアカウント、afneurope に質問した人がいて、お答がありました。

AFNは、在外米軍基地関係のリスナーのためということで、著作権者から政府に無償でコンテンツが提供されているそうです。これをネット配信にすると、通常の著作権料を払わなければいけなくなり、コスト高になる。そのコストではやっていけない、のだそうです。

あくまで米軍関係者のためのものであり、それ以外のリスナーはそのおこぼれにあずかっているわけですね。

それに、1980年当時は洋楽専門局のようなものがFENしかなかったわけですが、今はネットで直接アメリカのウェブラジオ配信局がいくらでも聴けるので、FEN=AFNにこだわる意義はあまりなくなっているようです。

とはいえ、タイムマシンで1980年ごろのFENの放送が聴けたら、たまには私も流しっぱなしにして聴いていたいです。

由利

ここで、ちょっと本文の流れをから離れて、主人公の由利に目を向けてみます。

実は由利という名前が出てくるのはもう少しあとなのですが、ここらへんまでの記述で、都内の大学の英文科に通う女子大生、そしてモデルクラブに登録しているということがわかります。

このあとどんどんキャラクターがはっきりしていき、青山通りに面した大学に通っている3年生、ボーイフレンドがいて、住まいは神宮前四丁目などが分ってきます。

そしてなんと言っも「クリスタル族」の言葉が生まれたように、裕福な家庭の帰国子女で、食べもの着るもの遊ぶところすべてにブランド的なこだわりがあって、都心の今おしゃれとされているスポットを活動範囲としている像が描かれていきます。

ところで由利の正確な歳っていくつでしょうか。

1980年に大学3年生ということで逆算できるわけですが、実は本文に

昭和三十四年に生まれた

とはっきり書かれています。

そして、この昭和三十四年生まれの世代的な特徴というのは、由利自身によって次のように語られています。

結局、私は “なんとなくの気分”で生きているらしい。
そんな退廃的で、主体性のない生き方なんて、けしからん、と言われてしまいそうだけど、昭和三十四年に生まれた、この私は、”気分”が行動のメジャーになってしまっている。

実はこのサイト作成者も同い歳なのですが、上の世代との関係で、この時代にこう言わざるを得なかった「気分」というのはよく分かります。


昭和34年、すなわち1959年生まれの由利は、2010年の今、51歳。

今、どんな女性なんでしょうね。

当時は 『JJ』の読者だったと用意に想像つくわけですが、今では『Story』あたりの読者でしょうかね。だいたいその雑誌に登場する女性のプロフィールかなと思います。

そして、もしこのまま生活を謳歌していれば、子育ても一段落して、「魔女」なんて言われるおしゃれをして、また昔のスポットに出没しているのかもしれません。

やや晩婚で娘がいるとすれば、その娘がやはり大学3年生というのもありえます。

娘もやはり、クリスタルな生活を謳歌しているのでしょうか、それとも、就活でひいひい言っているのでしょうか、あのあと30年間に起った日本経済の荒波を思うと、少し考え込んでしまいます。

ケニー・ランキン

Kenny Rankin

前記事にあったように、真夜中だったら聴くのもいいけれど、マイケル・フランクスと並んで、

雨の日になんて聴くと、余計にメランコリーになってきてしまいそうだ。

と評された、ケニー・ランキン。

注に

ボサノバのフレーバーが強いアーチスト。アルバム・デビューは1968年だが、評価されるようになったのは、70年代になってから。

とあるように、1940年生まれで当時すでにベテランの歌手。

70年代の再評価を象徴するアルバムが、1976年の Kenny Rankin Album。


限定国内盤 ケニー・ランキン・アルバム~愛の序奏(紙ジャケット仕様)

このアルバムの中では、すでにこの小説の中で2番目に出てきたStephen Bishopの”On and On” が歌われていて、聴き比べも面白いです。

Kenny Rankin – On and On

ハイトーンを力まず、軽々と歌う感じは、やはりこのアルバムの中の
Kenny Rankin – Groovin
で遺憾なく発揮されています。

こんな若々しい声の持ち主なのに、肺癌で昨年(2009年6月7日)病没とは、とても残念。