April, 2010

なんとなくクリスタル 音楽ツアー archives for April, 2010.


キサナドゥ (ディスコ)

Xanadu

FENが流れていく中、午後の講義を欠席すると決めた由利はまだベッドでのんびりしている。

もう一本、セーラムを取り出してみた。昨日、出かけたキサナドゥのマッチで火をつける。〈まったくグルーミーだわ〉と思いながら、私は左手でマッチをいじった。

キサナドゥに長めの注がついています。

六本木三丁目にある若者向きのディスコ。注242のフライデーと同じ系列で、二十歳前後のJ・J少女、ポパイ少年に人気がありました。入場料が安く、その上、客の回転率がきわめて悪かったことから、人気のほどには収益があがりませんでした。


キサナドゥは、今ではよく伝説のディスコと呼ばれることが多いですが、人気の割に存在期間が短かかったためだと思いす。

キサナドゥ(よく略してキサナ)は1979年5月にオープン、閉店したのは1980年8月ですから、1年3か月余りの存在期間。

この小説に描かれているのは、そのキサナドゥの最後のころということになります。そしてこの注、過去形の書きかたで分かるように、キサナドゥが閉店してからのものですね。

ところで、この人気ディスコのキサナドゥ、そこで完全になくなったいうわけではありません。10月に同じ場所でナバーナ Nirvana がオープンし、同じ客層を受けつぎながら、サーファーディスコとして人気を博していきます。ちなみにナバーナは1985年まで営業し、そのあとパラディッソ Paradiso というカフェバーになり、そのあといくつかの営業形態の店舗に使われることになります。

小説の本文では、

昨日の晩、私は江美子と一緒に六本木のディスコへ遊びに出かけた。

と回想シーンに入っていきます。

キサナドゥは、ウィークデーだというのに、相変らず混んでいた。

そして、さらに1980年初夏のキサナドゥを彷彿とさせる描写が続きます。

マンシングのシャツを着て、ダブル・ニットのパンツをはいたゴルブ坊やみたいな男の子や、ファラ・フォーセットのような髪をしたエレガンスや、サーファー・スタイルの女の子で一杯のこのディスコは、江美子のお気に入りだ。

江美子は「八王子に教養課程を持つ女子大生の二年生」で「原宿の女子学生会館に入っている」高校時代の同級生で友人。その江美子の、そしてたぶん由利もお気に入りのキサナドゥは

他のディスコと違って、学生が際立って多い。それも、上手に遊び慣れた子たちが集まるから、ハデな雰囲気がある。言ってみれば、ポパイ少年とJ・Jガールのディスコといったところだった。

ところで、このキサナの後に営業していたナバーナは、一昨年2008年の11月に同じ場所に当時のスタッフを中心に復活オープン。25年以上の時を隔てて、そして25年の歳を重ねアラフィフとなった、かつてのとJ・Jガールやポパイ少年、(陸)サーファー少年少女たちが、夜な夜な、特に週末、当時と同じ音楽で盛り上っています。

www.nirvana08.net

サイト作成者の私も復活以来、時々行きますが、内装は少し変ったとはいえ、基本的な構造は同じ、その同じ場所で、しかも同じような音楽のかかるそのフロアで踊っていると、この小説に書かれたシーンにタイムマシンのように引き込まれることがあります。

相変わらず華やかにおしゃれして、当時のステップ、というか当時そのままの体の動きで踊っている女性たちを見ていると、その中に今の由利や江美子がいてもおかしくないなという気持になります。

ところで一方、キサナドゥの名のディスコは何度か復活の試みをしていますが、場所の力という意味では、ここに描かれた当時のキサナの雰囲気にひたらせてくれるのは、やはりナバーナかなと思います。

エアプレイ 「シー・ウェイツ・フォー・ミー」

Airplay – She Waits for me

FENの続いての曲はエアプレイの「シー・ウェイツ・フォー・ミー」

エアプレイには、「なんとなく、クリスタル」では、やや詳しい注がついています。

スティーヴ・キプナー、マーク・ジョーダン、マンハッタン・トランファー等のアルバム・プロデューサであるジェイ・グレイドンと、EW&F、ホール&オーツ、デニース・ウィリアムス、マイケル・ジャクソンン等のアルバムのプロデューサであったデヴィッド・フォスターが、リード・ヴォーカルにトミー・フォンダーバークを加え、バックにトトも参加して作ったグループ

結成されたのは1980年。出したアルバムがバンド名と同名の “Airplay”。


このグループの説明としては、実は上の注でだいたい尽きています。というのは、その後の経歴は基本的にはほとんどありません。なぜかというと、このAirplay、プロデューサー主体で、当時のAORブームの乘っかって作られた、限定的プロジェクトによるグループ。アルバムも上記1枚きりです。コンセプト先行で、今でいうと「ユニット」的感覚で作られた言っていいでしょう。上記の他にも、当時の西海岸の名立たるミュージシャンが参加しています。

という経緯から、当時は、仕掛けがあたって流行っていたバンドの曲として FEN で流れていたことになります。もちろん、このとき聴いていた人のほとんどは、1年限定というそのへんの事情は分からなかったでしょうけれど。

アルバム、Airplay は日本盤が「ロマンティック」というタイトルがつけられリリースされています。

アメリカでも仕掛けがあたって人気だったのは確かでしょうが、日本ではそれ以上の人気だったと思います。日本人がイメージする西海岸の海、ハイウェイのさわやかな空気そのままの軽快で健康的な分かりやすいサウンド。

彼ら唯一のアルバムからのシングル・カットはアメリカでは第1曲目のStrandedだけということになっていますが、日本ではこの “She Waits for me” が「彼女はウェイト・フォー・ミー」というタイトルでシングル・リリースされています。このアルバムの中でも特に、当時のAOR特有のスピード感があるけどメロウなハモリのボーカルがたっぷり楽しめます。

アルバム中の曲でも、日本で特に流行ったこの “She Waits for Me” が FENでかかったということでこの小説でことさらにとりあげられたの偶然でしょうか。

クール&ザ・ギャング 「トゥー・ハット」

Kool & the Gang – Too Hot

FEN で次にかかるのがクール&ザ・ギャングの「トゥー・ハット」。

“Too Hot” は 「トゥー・ホット」と書くのが普通だが、この小説の中では、アメリカ英語を聴いいたままをうつしたちょっと気取った「ハット」になってます。

“Too Hot” は Kool & the Gang が1979年11月にリリースしたアルバム 「レディーズ・ナイト Ladies Night」 から、アルバムタイトル曲の “Ladies Night” にひきつづき、翌1980年にシングルリリースされたばかりの曲。


Kool & the Gang はこのアルバムあたりから都会的なテイストを打ち出していきますが、その中でも甘いボーカルの “Too hot” はその色が濃い曲です。

クール&ザ・ギャングは1980年9月には引き続き次のアルバム 「セレブレイト! Celebrate!」をリリース、シングルリリースされた「セレブレーション Celebrtion」がビルボード1位になって大ブレイクし、そのあとも続々と、今ではスタンダードになっているヒット曲を生み出していくわけですが、それは、1980年6月の日付けをもつこの小説より後の歴史ということになります。