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キサナドゥ (ディスコ)

Xanadu

FENが流れていく中、午後の講義を欠席すると決めた由利はまだベッドでのんびりしている。

もう一本、セーラムを取り出してみた。昨日、出かけたキサナドゥのマッチで火をつける。〈まったくグルーミーだわ〉と思いながら、私は左手でマッチをいじった。

キサナドゥに長めの注がついています。

六本木三丁目にある若者向きのディスコ。注242のフライデーと同じ系列で、二十歳前後のJ・J少女、ポパイ少年に人気がありました。入場料が安く、その上、客の回転率がきわめて悪かったことから、人気のほどには収益があがりませんでした。


キサナドゥは、今ではよく伝説のディスコと呼ばれることが多いですが、人気の割に存在期間が短かかったためだと思いす。

キサナドゥ(よく略してキサナ)は1979年5月にオープン、閉店したのは1980年8月ですから、1年3か月余りの存在期間。

この小説に描かれているのは、そのキサナドゥの最後のころということになります。そしてこの注、過去形の書きかたで分かるように、キサナドゥが閉店してからのものですね。

ところで、この人気ディスコのキサナドゥ、そこで完全になくなったいうわけではありません。10月に同じ場所でナバーナ Nirvana がオープンし、同じ客層を受けつぎながら、サーファーディスコとして人気を博していきます。ちなみにナバーナは1985年まで営業し、そのあとパラディッソ Paradiso というカフェバーになり、そのあといくつかの営業形態の店舗に使われることになります。

小説の本文では、

昨日の晩、私は江美子と一緒に六本木のディスコへ遊びに出かけた。

と回想シーンに入っていきます。

キサナドゥは、ウィークデーだというのに、相変らず混んでいた。

そして、さらに1980年初夏のキサナドゥを彷彿とさせる描写が続きます。

マンシングのシャツを着て、ダブル・ニットのパンツをはいたゴルブ坊やみたいな男の子や、ファラ・フォーセットのような髪をしたエレガンスや、サーファー・スタイルの女の子で一杯のこのディスコは、江美子のお気に入りだ。

江美子は「八王子に教養課程を持つ女子大生の二年生」で「原宿の女子学生会館に入っている」高校時代の同級生で友人。その江美子の、そしてたぶん由利もお気に入りのキサナドゥは

他のディスコと違って、学生が際立って多い。それも、上手に遊び慣れた子たちが集まるから、ハデな雰囲気がある。言ってみれば、ポパイ少年とJ・Jガールのディスコといったところだった。

ところで、このキサナの後に営業していたナバーナは、一昨年2008年の11月に同じ場所に当時のスタッフを中心に復活オープン。25年以上の時を隔てて、そして25年の歳を重ねアラフィフとなった、かつてのとJ・Jガールやポパイ少年、(陸)サーファー少年少女たちが、夜な夜な、特に週末、当時と同じ音楽で盛り上っています。

www.nirvana08.net

サイト作成者の私も復活以来、時々行きますが、内装は少し変ったとはいえ、基本的な構造は同じ、その同じ場所で、しかも同じような音楽のかかるそのフロアで踊っていると、この小説に書かれたシーンにタイムマシンのように引き込まれることがあります。

相変わらず華やかにおしゃれして、当時のステップ、というか当時そのままの体の動きで踊っている女性たちを見ていると、その中に今の由利や江美子がいてもおかしくないなという気持になります。

ところで一方、キサナドゥの名のディスコは何度か復活の試みをしていますが、場所の力という意味では、ここに描かれた当時のキサナの雰囲気にひたらせてくれるのは、やはりナバーナかなと思います。

由利

ここで、ちょっと本文の流れをから離れて、主人公の由利に目を向けてみます。

実は由利という名前が出てくるのはもう少しあとなのですが、ここらへんまでの記述で、都内の大学の英文科に通う女子大生、そしてモデルクラブに登録しているということがわかります。

このあとどんどんキャラクターがはっきりしていき、青山通りに面した大学に通っている3年生、ボーイフレンドがいて、住まいは神宮前四丁目などが分ってきます。

そしてなんと言っも「クリスタル族」の言葉が生まれたように、裕福な家庭の帰国子女で、食べもの着るもの遊ぶところすべてにブランド的なこだわりがあって、都心の今おしゃれとされているスポットを活動範囲としている像が描かれていきます。

ところで由利の正確な歳っていくつでしょうか。

1980年に大学3年生ということで逆算できるわけですが、実は本文に

昭和三十四年に生まれた

とはっきり書かれています。

そして、この昭和三十四年生まれの世代的な特徴というのは、由利自身によって次のように語られています。

結局、私は “なんとなくの気分”で生きているらしい。
そんな退廃的で、主体性のない生き方なんて、けしからん、と言われてしまいそうだけど、昭和三十四年に生まれた、この私は、”気分”が行動のメジャーになってしまっている。

実はこのサイト作成者も同い歳なのですが、上の世代との関係で、この時代にこう言わざるを得なかった「気分」というのはよく分かります。


昭和34年、すなわち1959年生まれの由利は、2010年の今、51歳。

今、どんな女性なんでしょうね。

当時は 『JJ』の読者だったと用意に想像つくわけですが、今では『Story』あたりの読者でしょうかね。だいたいその雑誌に登場する女性のプロフィールかなと思います。

そして、もしこのまま生活を謳歌していれば、子育ても一段落して、「魔女」なんて言われるおしゃれをして、また昔のスポットに出没しているのかもしれません。

やや晩婚で娘がいるとすれば、その娘がやはり大学3年生というのもありえます。

娘もやはり、クリスタルな生活を謳歌しているのでしょうか、それとも、就活でひいひい言っているのでしょうか、あのあと30年間に起った日本経済の荒波を思うと、少し考え込んでしまいます。

1980年6月

「なんとなく、クリスタル」には、表紙のあとの中扉に

1980年6月 東京

と書かれています。

音楽もその時点で東京で流行っていた洋楽が登場します。

もっと正確に言うと、新潮文庫版の後書きで著者の田中康夫は、

『なんとなく、クリスタル』を書いたのは、1980年の5月である。

河出書房の文藝雑誌「文藝」が設けていた新人賞「文藝賞」へ、5月31日の朝、郵送で応募したのだ。

と書いています。


ただし、1980年10月に「文藝賞」を受賞して1981年に単行本化されるときに本文に手を入れられ、そのときに274個だった注が、442個と大幅に増やされました。注をみると明らかに1980年6月以降の情報も追加されています。

書かれた日付けからいうと、登場する音楽は実は1980年代というより、1970年代後半のものが主です。

しかし、これらの音楽が日本で1980年から81年にかけて流れていたときのようすを通して、まさに80年代のはじまりの東京が、この小説にはビビッドに描かれています。